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図譜 なっとう豆 後付 いわき昔野菜のレシピ3 | いわき市役所

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Academic year: 2018

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(1)

生産の歴史的由来

なっとう豆

<マメ科ダイズ属>

●主な栽培地 常磐藤原町

大豆の原種は、中国西部、シベリアから日本に も野生するツルマメ(ノマメ)と呼ばれるもので、 古代から食料にされてきました。大豆として作物 化されたのは旧満州、シベリア、アムール川流域 ではないかといわれています。中国では五穀の1 つとされ、その栽培は5000年以上前から始まっ たとされています。

日本に渡来したのは縄文時代、あるいは弥生時 代初期とみられ、日本書紀の中では「麻豆」と表 記され、大豆が五穀の一つとうたわれていた記載 があり、また他の書物では、関西に産地があると いう記述があります。

日本で本格的に栽培が始まったのは、鎌倉時代 以降のことです。武士の栄養源とされたり、当時 伝えられた禅宗の精進料理に用いられたことが背

景にあります。江戸時代の農書「農業全書」では、

「大豆として黄、白、黒、青の4色あり、大小あり、 形では丸きと平」など、当時から多品種存在して いたことや、詳しい栽培方法を紹介しています。

常磐藤原町のなっとう豆は、現栽培者の実父が 今から60年以上前に仕事で茨城県に滞在した際に 入手した大豆です。淡い黄色で大きさが3~4㎜ と非常に小さな大豆です。

大豆は、大きさによって大粒種、中粒種、小粒 種に分類されます。昔から、用途の広い大粒種が 好まれて栽培されてきましたが、茨城県の一部で は土地の条件が合わなかったり、水害があったこ とから、小粒種が採用され広く栽培されていまし た。ただ、小粒種は味噌や豆腐の原料には不向き であったため納豆に加工されてきました。全国的

常磐

(2)

生産の歴史的由来

なっとう豆

<マメ科ダイズ属>

●主な栽培地 常磐藤原町

大豆の原種は、中国西部、シベリアから日本に も野生するツルマメ(ノマメ)と呼ばれるもので、 古代から食料にされてきました。大豆として作物 化されたのは旧満州、シベリア、アムール川流域 ではないかといわれています。中国では五穀の1 つとされ、その栽培は5000年以上前から始まっ たとされています。

日本に渡来したのは縄文時代、あるいは弥生時 代初期とみられ、日本書紀の中では「麻豆」と表 記され、大豆が五穀の一つとうたわれていた記載 があり、また他の書物では、関西に産地があると いう記述があります。

日本で本格的に栽培が始まったのは、鎌倉時代 以降のことです。武士の栄養源とされたり、当時 伝えられた禅宗の精進料理に用いられたことが背

景にあります。江戸時代の農書「農業全書」では、

「大豆として黄、白、黒、青の4色あり、大小あり、 形では丸きと平」など、当時から多品種存在して いたことや、詳しい栽培方法を紹介しています。

常磐藤原町のなっとう豆は、現栽培者の実父が 今から60年以上前に仕事で茨城県に滞在した際に 入手した大豆です。淡い黄色で大きさが3~4㎜ と非常に小さな大豆です。

大豆は、大きさによって大粒種、中粒種、小粒 種に分類されます。昔から、用途の広い大粒種が 好まれて栽培されてきましたが、茨城県の一部で は土地の条件が合わなかったり、水害があったこ とから、小粒種が採用され広く栽培されていまし た。ただ、小粒種は味噌や豆腐の原料には不向き であったため納豆に加工されてきました。全国的

常磐

豆と一緒に持ち帰った、本場の納豆づくり。

【なっとう豆といわきの在来大豆の比較】

栽培方法

←大粒種に比べると莢つ  きがよく、豆も沢山採  れる

に有名な「水戸納豆」が小粒であることの背景に はこのような要因があったといわれています。

なっとう豆の品種は明らかではありませんが、 譲り受けた60年前も、茨城県では納豆用に推奨さ れていた品種がいくつかあったようですので、そ の中のひとつかもしれません。( 一部いわき昔野 菜図譜 其の参より抜粋)

60年前、現栽培者の実父は、山の管理をする仕 事で3年間茨城県に滞在していました。この間に なっとう豆を入手し、納豆の作り方を覚えていわ きに持ち帰りました。今ではあまり聞きませんが、 藁で包んで作る納豆は「つと納豆」と呼ばれてい ます。「つと」とは、「藁づと」という藁を編んで 食材などを包む物の名に由来しています。

父直伝の「つと納豆」は、まず稲藁を40㎝位に 切り揃え10分ほど煮沸します。藁には、もともと 納豆菌、雑菌が含まれており、煮沸することで雑 菌だけが死滅し、納豆菌は残るそうです。藁束の 一方の端を藁で束ね、藁の上に蒸したてのなっと う豆を置きます。豆全体を包み込むように藁を中 央で二つに折り、バラバラにならないよう口を藁 で縛ります。ビニール袋などで包み、発酵中の堆 肥の中(50~60度)で二日ほど寝かせれば手造り 納豆の完成です。

こうして栽培者宅では数年前まで納豆を手造り していました。、他の作物の栽培が増えるにつれ、 徐々になっとう豆の収量は減り、今では種をつな ぐためだけの栽培となってしまいましたが、手造 りの納豆は、豆の香りが強く、味も良かったと言 います。

5月頃に、苗床またはポットに2粒ずつ播きま す。6月になって、葉が 3 ~ 4 枚ついたら、50

㎝~60㎝幅の平畝に15㎝~20㎝間隔で定植しま す。自ら養分を作ることのできるマメ科の植物に 過剰な養分は不要であるため、畑はなるべく葉物 収穫後の場所を選び、元肥はやりません。

収穫までの管理は、草引き程度。10月下旬~ 11月上旬にかけて莢が茶色くなったところで根ご と引き抜き、土を落として 5 ~ 6 本を 1 束にまと め、ハウス内のシート上に、根を下にして立てか けておきます。完全に乾燥すると大部分の豆が自 然と弾けて脱粒しますが、残ったものは棒などで 叩いて落とします。落とした豆は、箕を使って残 殻、ごみを除きます。収穫した豆は大きさが不揃 いなため、栽培者は大きさごとに選別し、より小 さい豆を翌年の種としています。

  (田

 

  (藤

  (田  

  豆

  (平

  (錦

61

(3)

<12 月>

畑では、寒さにあたった「いわき一本太 ねぎ」が甘みを増し、いよいよ収穫の時 を迎えます。サトイモやおかごぼうも、 降霜前に全ての収穫を終え、種芋となる 芋は畑に掘った穴の中で保管されます。 芋の上には米ぬかや藁が敷き詰められ、 ネズミ除けにチクチクした杉の葉を入れ ることもあります。堆肥枠を利用して育 苗する家では、落ち葉拾いに余念があり ません。

<1月>正月を迎えた畑は農閑期に入りひと休 み。とはいかず、寒中から土づくりを始 める人もいます。大寒を迎える頃には、 凍み餅づくりが始まり、台所仕事も休み なく続いています。前年にやり残した豆 の選別作業を、この時期、炬燵に当たり ながら進める人もいます。

<2月>立春を迎え暦の上では春を迎える 2 月。 堆肥や種の準備を始めるかたわら、前年 の畑を思い出しながら、連作にならない よう配慮しながら 1 年の栽培計画を立 てるのも楽しい作業です。

COLUMN

畑 の 暦

旧暦の 11 月 4 日、14 日、24 日に大師様(浜通り では聖徳大使や弘法大師など)を祭る「大師講」。全 国各地で見られることから様々な形式がありますが、 塩ゆでした小豆と、おかゆ、米粉を丸めた団子が入っ た「小豆粥」をお供えするのが一般的と言われていま す。チイさんの住む集落でも、11月の中旬になると「ハ レの日のご馳走」として、小豆粥やこづゆ(ゴボウ や人参、サトイモなどが入った醤油味の汁物)と一緒 に食べていた時代がありました。

しかし、時代とともに大師講をする家庭は少なくな り、小豆粥も風化しかけていました。そんな折に、チ イさん宅を訪れた知人の男性が「子供の頃に食べた小 豆粥がとても懐かしい」と話したため、チイさんは、 実家の母親が作っていた様子と食べた味の記憶を頼り に、小豆粥を作って振る舞ったそうです。チイさん自 身も久しく食べていませんでしたが、男性は「もう一 度食べられると思わなかった。すごく懐かしい」と感 激されたといいます。

いわき昔野菜同様に、それぞれの地域を彩ってきた 食文化も変わりつつあります。時代に合わせ柔軟に変 わることも大切ですが、伝統的ないわきの食も残して いかなければいけません。蛭田チイさんの食の思い出 も、次の世代へ受け継いでいきたい貴重な地域の財産 です。

※赤飯や小豆粥として食べられるなど、昔から小豆は 非常に貴重なもので、収穫した小豆は子供たちに見 つからないように、母親が家の中に隠していました。 幼かったチイさんは、どうしても小豆でお手玉を作 りたく、目を離した隙にこっそり頂戴したそうです。 結局、後から遊んでいるところを見つかったそうで すが、「それも良い思い出」と楽しそうにお話して いました。

蛭田チイさんの、 思い出は食と共に

記憶をもとに、 小豆粥を再現

記憶をもとに、 小豆粥を再現

<取材協力>

蛭田チイさん(田人町荷路夫在住) チイさんが栽培する年間100種類以上の野 菜のうち、約20品種は実母より受け継いだ種 により栽培が続けられている「いわき昔野 菜」です。

「じゅうねん」「ごんぼっぱ」などを使った 伝統食の知識は、まさに地域の財産。チイさ んが栽培する「さとまめ」「のりまめ」など の珍しい豆類も、若い生産者や料理人の注 目を集め、次世代へ受け継がれつつありま す。

(4)

<12 月>

畑では、寒さにあたった「いわき一本太 ねぎ」が甘みを増し、いよいよ収穫の時 を迎えます。サトイモやおかごぼうも、 降霜前に全ての収穫を終え、種芋となる 芋は畑に掘った穴の中で保管されます。 芋の上には米ぬかや藁が敷き詰められ、 ネズミ除けにチクチクした杉の葉を入れ ることもあります。堆肥枠を利用して育 苗する家では、落ち葉拾いに余念があり ません。

<1月>正月を迎えた畑は農閑期に入りひと休 み。とはいかず、寒中から土づくりを始 める人もいます。大寒を迎える頃には、 凍み餅づくりが始まり、台所仕事も休み なく続いています。前年にやり残した豆 の選別作業を、この時期、炬燵に当たり ながら進める人もいます。

<2月>立春を迎え暦の上では春を迎える 2 月。 堆肥や種の準備を始めるかたわら、前年 の畑を思い出しながら、連作にならない よう配慮しながら 1 年の栽培計画を立 てるのも楽しい作業です。

畑 の 暦

旧暦の 11 月 4 日、14 日、24 日に大師様(浜通り では聖徳大使や弘法大師など)を祭る「大師講」。全 国各地で見られることから様々な形式がありますが、 塩ゆでした小豆と、おかゆ、米粉を丸めた団子が入っ た「小豆粥」をお供えするのが一般的と言われていま す。チイさんの住む集落でも、11月の中旬になると「ハ レの日のご馳走」として、小豆粥やこづゆ(ゴボウ や人参、サトイモなどが入った醤油味の汁物)と一緒 に食べていた時代がありました。

しかし、時代とともに大師講をする家庭は少なくな り、小豆粥も風化しかけていました。そんな折に、チ イさん宅を訪れた知人の男性が「子供の頃に食べた小 豆粥がとても懐かしい」と話したため、チイさんは、 実家の母親が作っていた様子と食べた味の記憶を頼り に、小豆粥を作って振る舞ったそうです。チイさん自 身も久しく食べていませんでしたが、男性は「もう一 度食べられると思わなかった。すごく懐かしい」と感 激されたといいます。

いわき昔野菜同様に、それぞれの地域を彩ってきた 食文化も変わりつつあります。時代に合わせ柔軟に変 わることも大切ですが、伝統的ないわきの食も残して いかなければいけません。蛭田チイさんの食の思い出 も、次の世代へ受け継いでいきたい貴重な地域の財産 です。

※赤飯や小豆粥として食べられるなど、昔から小豆は 非常に貴重なもので、収穫した小豆は子供たちに見 つからないように、母親が家の中に隠していました。 幼かったチイさんは、どうしても小豆でお手玉を作 りたく、目を離した隙にこっそり頂戴したそうです。 結局、後から遊んでいるところを見つかったそうで すが、「それも良い思い出」と楽しそうにお話して いました。

蛭田チイさんの、 思い出は食と共に

記憶をもとに、 小豆粥を再現

記憶をもとに、 小豆粥を再現

<取材協力>

蛭田チイさん(田人町荷路夫在住) チイさんが栽培する年間100種類以上の野 菜のうち、約20品種は実母より受け継いだ種 により栽培が続けられている「いわき昔野 菜」です。

「じゅうねん」「ごんぼっぱ」などを使った 伝統食の知識は、まさに地域の財産。チイさ んが栽培する「さとまめ」「のりまめ」など の珍しい豆類も、若い生産者や料理人の注 目を集め、次世代へ受け継がれつつありま す。

いわき昔野菜のレシピ3 編集後記

長い間、人々の暮らしに寄り添ってきた「いわき昔野菜」。親から子へ、子から 孫へと世代を越えて、代々種が受け継がれ、地域の気候や風土に馴染み、家庭の 食卓を支えてきました。いわきリエゾンオフィス企業組合では、平成 22 年度より、 いわき市から伝統農産物アーカイブ事業の委託を受け、いわき昔野菜の調査・記録・ 広報・普及につとめてまいりました。

伝統野菜の中には、収量が不安定なものや手間がかかるものも多く、何十年も 種を繋いでいく中で、様々な苦労があったことでしょう。また、震災以降は農業を 取りまく環境が激変し、「いわき昔野菜」の種子の存続にも大きな影響を与えまし た。しかし生産者の皆さんは、少しもその様子を感じさせることなく、悲観するこ ともなく、朗らかに畑と向き合っています。私たちはその笑顔に何度も励まされま した。作物との出会いはもちろんですが、いわきの生産者の皆さまと一緒に歩んで こられたことが、何よりの財産だと言えます。

本誌は、昨年、一昨年に刊行された「いわき昔野菜のレシピ」の続編であり、 おかげ様で第三弾を発刊することが出来ました。今回ご紹介しているレシピは、生 産者の思いをシェフが形にした料理となっております。若い世代の方に興味をもっ てもらえるような、新しい食べ方を中心にご紹介しておりますので、この冊子を手 に取ってくださった方は、ぜひご家庭でも作ってみてください。皆さまの「食べたい」 という想いが、生産者が栽培を続ける原動力となり、いわき昔野菜が次の世代へ 繋がっていくことを、心より願っております。

(平成 27 年4月 いわき昔野菜保存会設立総会より)

63

(5)

いわき昔野菜のレシピ3 2016 年 2 月 発 行

発 行  いわき市農林水産部農業振興課

〒970−8686

 

福島県いわき市平字梅本21番地

TEL.0246−22−7479 FAX.0246−22−7589

http : / / www. city. iwaki. lg. jp

編 集  いわきリエゾンオフィス企業組合

〒970−8026

 

福島県いわき市平字作町2丁目1−9

        (エスビル2F)

TEL.0246−35−1430 FAX.0246−35−1431

http : / / www. iwaki - liaison. co. jp/

E-mail:[email protected]

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